昭和20年、終戦の年は遠くになりにける。
だが、2月3日が近づくと思い出すことがある。

沖縄戦のこと、私は負傷して帰還してきた村の兵士に聞いたのです。米軍が沖縄に上陸し、防空壕や山の穴に逃げ込んでいる女子、子供たちを火炎放射機で焼射したことを。

帰還兵は、鹿児島の小さな街で下駄職人をやっていた。親戚の娘と結婚すべき、指輪の代わりにキリ下駄のコッポリを作って贈ろうとしていたが、敗戦間際に戦場に駆り出されて、そのコッポリ下駄を娘に渡すことなく、戦争は終わった。何年か経って彼は故郷に帰ってきたが、沖縄の悲惨を知り、だがコッポリを仕上げて、娘を訪ねたのです。娘の集落で生き延びた人たちは一人もいなかったそうだ。彼は気が狂った。なぜ女、子供が洞窟の中で焼け死んだのか。
生き残っている村の人に訪ねたが、彼の娘は洞窟に逃げ込んで焼け死んだだろうと告げられた。

彼は鹿児島を離れて、親せきを頼って大阪にやってきて、やはり下駄職人として働いた。青春の証、コッポリ下駄の行き先を失ったまま、酒を浴びるようになり、近所の人から変人扱いされながら、75歳、近くのちいさな空港(かつてはここで少年特攻隊を訓練していたところ)に再び自衛隊の飛行機が飛んでくることを知り、反対の抗議を買って自殺をはかった。誰もが知らない死だ。生活が困っての自殺だと。

私はそうは思わなかった。娘さんへのコッポリの話を聞いていたので。社会ではいのちをかけて生きてきた人が人知れず生涯をとげている。
社会の権力をもった悪人は、一度は世間にさらされてて問われるが、良い生活をして長生きする。自分を律することなく、下駄職人の兵士のおじさんの冥福を祈るのみです。

みなさんのお近くにそんな方はいませんでしたか。

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